2012年02月08日

理想の姿6(最高のゲームを楽しむ)

皆さんこんにちは、スタッフの瀬名@鈴木です。

理想の姿とは?シリーズの最終回です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今回の記事は、読む方によっては予想の斜め上の答えだったり
逆に予想外にガッカリする答えに感じると思います。




前回の師匠の言葉、
「そうして、あなたの信念に基づいて収入を得る方法(例えば会社員)を行いながらでも、本当に好きな事をやる時間を確保しなさい。あなたが信念を変えていけば、外側の状況も変わるのだから。」

無論わたくし、この回答には厳しく突っ込みましたよ。


瀬 「それじゃあ働きながら趣味をやるっていう、普通の答えじゃないですか。」

師 「意外な答えを期待していたのかね?
   仕事と趣味では自分自身の最高の姿を表現できているから、
   もっとすばらしい答えをくれと?」

瀬 「いえ、そんなんじゃありませんけど。。。一般的な答えだな~と思って。」

師 「答えなら、ずいぶん前に与えたではないか。魂を見るのだよ。

   自分以外の全てを使って自分の魂を見るのだ。
 
   自分自身以外の中に魂を見るのだ。

   その為に自分以外に宿る全ての魂の表現を手伝うのだよ。」


瀬 「・・・。それは、職業じゃないです。」


師 「それ以外無いのだ。すべてはそれだけなのだよ。

   あなたが人生を終える時、会社や仕事や役職のことを気にするのかね?

   何をしたか、何処へ行ったか、誰と会ったかを気にかけるのか?

   何を思ったか、何を話したか、何を感じたか。ではないかな。

   <魂を表現したのか?>あなたが人生の終わりに気にするのはこれだけだ。」



「あの世に持っていけるものだけを気にしなさい、

 あなたが人生で刻む魂の記憶だけを。

 貯金や車やバッグやコートはどうでもいいと思うだろう。

 地位や名誉、あらゆるステータスも興味がなくなるだろう。

 『自分が死んだら他の人に何と言って欲しいのか、
  どんな人物だと評価して欲しいのか』

 これだってどうでも良いことだ。

 家族や親友への後悔や名残惜しさも実のところ、

 生きているうちにあれこれしておけば良かった。

 というだけの話だ。」



「何度でも言おう、魂に刻まれる記憶とは、魂を見ることだ。魂を感じることだ。

魂の表現を手助けすることだ。その体験は大げさな出来事だけではないのだ。

探し物が見つかった時の嬉しさであったり、美味しいものを食べた喜びだったり、

不意にお礼を言われる瞬間だったり・・・

日常の中にありふれているのだよ。

何しろ、全てが魂を表現するための道具なのだからね。」




瀬 「道具、ですか・・・ですよね。」

師 「魂を見いだしなさい。世界は無条件の愛で満たされている

   という前提のもとで、魂を表現しなさい。
   
   再考を求めて躊躇する前に行動しなさい。

   そして、最高を目指しなさい。

   あなたの考えや行動が最高だと感じないのは、

   あなたが成長拡大した何よりの証拠だと知りなさい。

   そもそも、あなたが何をしているかなど、

   どうでもいいではないか。細かいことだ。



   いつでも最高の愛を表現しなさい

   それに躊躇するのなら、真実を表現しなさい

   それも迷うのなら、真実だと信じることを表現しなさい

   信じられないのならば、真実であると信じたいことを表現しなさい。

   真実に迷うのなら、思いつく選択肢の中で最良だと思えるものを選び、

   表現しなさい。」


瀬 「とても心地よいお言葉ですが・・・
   結局、具体的な行動に落とし込むとどうなるのですか?」


師 「まずは、今あなたが出来る事、思いつく事の中で最良の選択をしなさい、

   その心地よさのまま最高を選択し続けなさい。たとえ、何が起ころうとも。」


瀬 「何が起ころうとも!!?ですって?」

師 「そうだ。あなたは自分(である魂)を確認するために周りの全てを
   使うのだよ。自分でないものを使って自分を見るのだ。」

瀬 「それは何度も、」

師 「言ってないよ。あなたが自分(の魂)の姿をしっかりと分かっている

   のなら、あなたの人生経験も整ったものになるだろう。

   しかし、そうではないではないか。あなたが次から次へと

   違う望みへと焦点を移すから、あなたの人生には沢山の

   望みの種とそうでないものが現われる。

   あなたは何かを望むと同時にその望みを明確にする為に

   望みでない状態も引き寄せるのだ。あなたの人生に種とノイズが

   同時に現われる。そしてあなたはノイズに意識を集中し、

   ノイズをしっかりと握り締めたまま、「こんなものはいらない!」

   と大声を張り上げる、ノイズを握り締めたままね。そうしてあなたは

   一度に何種類もの種とノイズに対処しなければならない。


   人生はもっとシンプルだ。

   あなたが愛を表現すればすぐに愛でないものが

   あなたの周りに現れるだろう。それでもあなたが愛であり続け

   『私は愛である』と表現し続けるなら、

   やがてあなたの周りは愛で表現されつくされる。」


師 「多くの人が、今日の信念が明日叶わないからと言って

   いとも簡単に素晴らしい信念を捨ててしまうが、

   私は、あなた方にもう少し辛抱強くなって欲しいと思っている。

   (質問より)先に言おう、信念でも愛でも豊かさでもいいのだよ、

   辛抱強く表現するものは。」


瀬 「つまり、頑張れってことですか?」

師 「つまり『楽しみなさい』ということだ。 
   
   全ての評価は、人生を終える時にしなさい。

   全ての評価だ。あなた自身の容姿や能力や実績だけでなく、

   あなたに起こるさまざまな出来事についても

   あなたが見聞きする全ての出来事についても

   その評価は後回しにして、人生を楽しみなさい。」



<<おいおい『何が起きても人生を楽しむ』って誰の悟りだよ>>(-""-;)



瀬 「理想が『楽しむ』では、あまりに具体性にかけます、いったい何をすれば・・・。」



師 「それを探すのも楽しみの一つではないかね。」

  「ようするにあなたは、会社というシステムから抜け出して

   生きていくために必要なことが知りたいのかね。」

瀬 「はいっ!出来る限り豊かなコースをお願いします。」

師 「まずは、今ある道具を使いなさい。

   今もっている知識・技術・環境・制約(と感じているもの)を、

   不足している・制限されているという視点からではなく、

   全ての要素があなたという魂を表現する為に揃えられた道具だと

   知りなさい。よいか、知りなさい。あなたは知っているのだから。


   そして、制限がまったく無くなればどんな花を咲かせようかと

   迷い怯えるくせに制限や不足を嘆くのはやめなさい。


   この世界は無条件の愛に満たされているという前提のもとで、

   魂を表現するゲームを最高の形で楽しみなさい。」


瀬 「聖なる堂々巡り」じゃないか・・・(´_`。)


師 「私は何度でも言うし、これまでもさまざまな形で伝えてきたよ。

   予感、偶然、誰かから聞いた悪口、偶然見かけた花や鳥

   あなたが何度かき消そうとも、私は伝え続ける。

   安心して『聖なる堂々巡り』を楽しみなさい。」

瀬 「・・・」

師 「必要なのだよ、堂々巡りややり直しも必要なのだ。

   全てを評価するのは後回しにしなさいと言ったではないか、

   いちいち評価していたらそこから生み出されるはずの

   素晴らしい未来の種を見逃してしまうよ。」

  「堂々巡りの中で、正直に自分の気持ちを解放しなさい

   あなたを縛り付ける鎖を解放すれば

   堂々巡りなどできなくなってしまうのだからね。」
  

Posted by greentea coaching at 16:34Comments(0)瀬名ワールド

2012年01月30日

理想の姿5(自由とは保証がないこと)

みなさんこんにちは、スタッフの瀬名@鈴木です。
今回は、「自由」についてイタい所を…深い洞察を頂きました。




師 「好きなこと、趣味と労働を分けて考えてはいないか?」

瀬 「考えてますよ。だって労働は労働でしょ、
   みんな仕事をするんですよ。働かなければいけないですよ。」


「ならば、働けばよいではないか。働くとは何なのだ。
 誰かの、何かの役に立つことではないのかな?
 それは、奉仕ではないのか。奉仕で対価を貰うのは良くない事だから
 ~浄財しか頂けないから~労働で対価を受け取るのか?
 そんな考え方をしているから、素晴らしい事をする人は清貧で我慢したり
 人に誇れないことをする人が大金を得るのだろ。」

「それがあなたがの言う<労働>という言葉に与えた役割だ。」

瀬 「言っている意味が良く分かりません。どうしろって事ですか?」

師 「奉仕・労働・趣味・興味を区別せずに自分が何をしたいのか
   を考えてみなさい。その時に、お金のことは考えてはいけないよ。
   お金が不足することで起こると考えているあらゆる事も、だ。」

瀬 「私(の魂)が一番やりたいことは、
   自分の魂を見たい・経験したいということですよね。」

師 「そうだ。」

瀬 「これじゃあ堂々巡りですよっ。
   結局魂がどーのこーのって場所に戻ってきただけじゃないですか。」

師 「堂々巡りではないのだよ。巡ってはいないのだ、そこしかないのだよ。
   魂しかないのだ。その他の事はどうにでもなるのだよ。」

瀬 「でも、私が早々に会社を止めて個人でクライアントを取るとなったら、
   一ヶ月もしないうちにローンや光熱費の支払いが滞りますよ。」

師 「おや、自信満々だね。」

瀬 「ふざけないでください。人は経済社会で暮らしているんです」

師 「お前が言っているのはこういうことだ。

   会社を辞めたら安定収入がなくなります。
    (これは個人の固定観念であり、集団意識だ)

   私は、満足のいく数のクライアントを取ることができない
    (これは個人の固定観念であり、集団意識だ)

   私は、能力が不足しています。
    (これは個人の固定観念であり、集団意識だ)

   私は、お金に困っているんです。
    (これは個人の固定観念であり、集団意識だ)」

瀬 「そうですよ、その通りです。だって、認めたくは無いですが、
   それが正しいものの見かたです。」

師 「何も、まだ何も起こっていないというのに そんな未来を望むのか!?」

瀬 「いったい何を信じろというんですか? どこにそんな保証があると?」


師 「いったい何を?自分自身を信じれば良いではないか。
   信じられないのなら、疑わなければ良いではないか。」

師 「どこに保証が?そんなものはどこにもないのだよ。」

  「会社員でいれば収入と身分が保証されている様に感じるだろうが、
   それは感じているだけであって保証ではないのだよ。

   全てはあなたが望むままなのだ、全ては自由なのだ。

   だから確約した未来など無いのだよ。

   (あなたが高い次元で決めた未来に向かって行く時の
    『確実にある未来に向かう感覚』と混同しないで欲しいのだが、)

   保証・約束とは、自由な未来を制限するものなのだよ。

   約束された未来など無いのだ、それが自由というものだ。

   保証された未来とは、あなたを縛る鎖でしかないのだよ、

   それは時に、とても心地よい鎖かも知れないがね。


   分かっていただけるだろうか?


   自由とは、何にも縛られないということだ。

   過去にも、未来にも、そして 今にも!」

   

瀬 「でも(いきなり会社を辞めるなんて)無謀な賭けに
   出る訳にはいきませんよ。」

師 「賭けではないのだよ、賭けと自由は違うのだ。」

瀬 「・・・」

師 「ならば、自分の信念を支える為に道具を使いなさい。
   スキルを磨くのも良いだろう。
   何かの集まりに参加するのも、学ぶのも良いだろう。
   但し、その道具を使って表現した結果を
   評価することの無いようにしなさい。
   道具に振り回されてはいけないよ。」

  「そうして、あなたの信念に基づいて収入を得る方法

  (例えば会社員)を行いながらでも、

   本当に好きな事をやる時間を確保しなさい。

   あなたが信念を変えていけば、外側の状況も変わるのだから。」  

Posted by greentea coaching at 13:49Comments(0)瀬名ワールド

2012年01月25日

理想の姿4(お金と制限について)

みなさんこんにちわ、スタッフの瀬名@鈴木です。

理想の姿を模索する対話、今回は
「制限とお金」に関する事ですが、師匠達のアドバイスが核心的すぎて、
実生活に落とし込むには工夫どころかワークが必要な感じすらします…



瀬 「それでは、限られた道具を使って自分の魂を表現する方法なのですが?」


「限られてなどいない、限られてなどいないのだよ。
 限界があるとすれば、それはあなたの内側にあるのだ。」

「あなたは、お金や技術や知識が足りないことで
 大きな制限を受けていると感じているが、
 まずひとつに、今あるもの、
 あなたが言う制限されている限られた量を十分に使って自分を表現しているかな?

 そして、
 もっとその道具を使いたいと欲しながら

 その道具を雑に扱うようなことをしていないか?」

「まずは今ある道具を愛しなさい。

 例えば、あなたはお金(というエネルギー)を愛しているのですか。

 いつか感じた少年の時のような純粋で無条件に愛しているのですか。

 お金を恨んではいませんか?

 お金を怖がってはいませんか?

 お金を避けてはいませんか?

 お金との心地よい距離感が分かっていますか?

 お金を信頼していますか?

 お金が足りない人や多すぎてトラブルを抱えている人は、
 お金と自分の関係に無関心なのです。
 他の道具に対しても(道具とは、物のことだけではありませんよ)
 同じように自分自身に問いなさい。」



「外側(本当は外側などなにもないのですが)を見る前に、
 基本的な事を理解してください。

 この世界は、愛に満たされている。

 あなた方個人(に分かれた全体の一部)が想像しうる

 最大の愛よりも もっと大きな愛<無条件の愛>によって。

 そこには、罪や罰や善悪、間違いなどない。

 存在しないのではない、全ての存在が許されているのだ。

 意味無く存在するものなど、この世界に無いのだよ。

 目の前にある事実があなたの胸を掻きむしり、

 愛などというものがどんなに信じられなくても、

 その源は愛なのだ。愛を、魂を認識するために必要なのだ。」


師 
「よいか、この世界は愛に満たされているよ。そう知りなさい。

 知る事が出来ないのなら、信じなさい。

 信じることができないのなら、

 「愛で満たされている」という前提で物事を見なさい。

 愛で満たされているという前提で物事を感じなさい。

 愛で満たされているという前提で行動しなさい。」


瀬 「それでもやっぱり不条理なことは起こりますし、
   私が使える道具にも限りがあります。」



「それでもやっぱり『この世界は無条件の愛で満たされている』
 という前提で見なければいけないし、制限はないのだよ。」



「限界はあなたの意識の中にあるのだ。あなた個人の意識の中に。

 2人が集まれば2人の共通意識の中に限界が生まれる。
 家族が集まれば家族の中にも限界が生まれる。
 (その限界を覆すのは苦労するだろ?)
 組織があれば、組織としての集団意識がある。 
 国家が、人類が、地球が・・・

 それが今のあなたの限界だ。あなた自身についても道具についても。
 制限、限界、集団意識というものに違和感があるのなら、
 価値観や共通認識、常識と置き換えてもいいだろう。」

瀬 「みんなその中で暮らしているんですよ。
   魂を表現するのにも生活するのにもお金がかかりますし」

師 
「『お金は労働の対価』

 あなたはこの言葉をどの程度信じているだろうか?

 労働しなければ絶対に!お金は入ってこないとお思いか?
 
 ラッキーな事など経験したことがないと?
 
 ごくたまには、労働と無関係にお金が入ってくるとお思いか?

 そこに『悪銭身に付かず』という価値観が張り付いてはいないだろうか?

 お金を手に入れるためには労働の必要があるとお思いか?

 そこに『労働とは夢をあきらめて、何かを我慢して働くこと』

 という勘違いが隠れてはいないか?

 労働を喜びからくる行動に変えることはできないのか?

 そこに『好きなこと、趣味は収入に繋がらない』

 という損得勘定がありはしないか?

 目の前の棒は、棍棒にもなればテコにもなる。

 そして凶器にすらなる。

 あなたは、お金を使って(あるいは貯めることで)

 何を表現しようとしているのだ?

 お金という道具(単なるエネルギー)に

 どんな意味をつけて使っているのだ?」


瀬 「・・・・・・・」


師 「あなたは、お金に<労働の対価>という役割を与えている。
   自分から逃げるもの、手に入りにくいもの という特性を与えている。
   どこか遠くにあるもの という居場所を与えているのだ。」

師 「労働に対しても、他のどんな些細なことに対しても
   いろんな意味を与えているのだよ。
   だから、あなたが見る現実は、あなたが解釈できるように動いているんだ。
   あなたの現実に意味を与えたのはあなたなのだからね。」

瀬 「労働の対価はお金だけじゃありませんよね。」


師 「その価値観を支えている思考は、「労働の対価はお金」
   という信念なのだよ。その信念があればこそ、
   労働の対価はお金”だけ”じゃない。と言えるのだ。」

師 「お金に対しての価値観と、その価値観が支えている
   固定観念やさまざまな思いを深く見つめてみるといい。」

瀬 「・・・。分かりました。」


昨年交わされたこの会話、
今記事にしてみても、ドキッとする内容です。。。  

Posted by greentea coaching at 13:03Comments(0)瀬名ワールド

2012年01月18日

理想の姿3(何にでもなるために超えるべきハードル)

みなさんこんにちわ、スタッフの瀬名@鈴木です。

理想の姿を模索する対話、今回は
「思いついた全てのことは、
 躊躇が芽生える前にその時に表現できる形で行動に移しなさい。」
ということに尽きます。

夜書きとめた記事なんで、昼間アップするとオチが落ちてない。。。




師 「ここで繰り返そう。最高を求めて躊躇すヒマがあったら
   今出来ることをやりなさい、今考えられることをやりなさい。
   但し、(その時の)最高を目指すのだよ。」

瀬 「あの~、それで、理想の姿、特に職業のことなんですが・・・」


「何にでもなれるのだ、あなた方は自分が望むものなら何にだってなれるのだよ。
 全てはただの道具に過ぎないのだから。

 但し、あなたが『働かざるもの食うべからず』という価値基準を持ち、
 それと同類の集団意識を超える事が出来なければ
 あなたは働かなくてはならないし、
 成功する確率は低いと言う集団意識を越えられなければ、
 あなた個人の能力がとても高くて信もが強いとしても、
 成功するのには多くの苦労を伴うことになる。

 あなたは、本当に望むなら何者にだってなれるし、
 本当に望んだ物すべてを手に入れられる。

 多くの書籍もそう言っているではないか。
 今のところそれを上手にやり遂げられる人の数はそれほど多くは無いがね。
 どうもあなた方は、個人の信念や価値観を変えるがあまり得意で無く、
 個人の信念が集団意識を超えるのはさらに難しいようだ。

 だがそれは、

 出来る者にとってはとてもたやすく、

 未経験の者にとっては困難に見える

 一輪車のようなものなのだよ。」


瀬 「・・・そうですか。でも、その価値観を変えるのは難しいですね。」



「あなた方は、いとも簡単に信念を変えているではないか、
 毎日毎時間、毎瞬コロコロと。
 どちらかといえば同じ信念を保てないことの方が問題としては大きいのだよ。

 つまりあなたは、自分に制限をつけている信念からは抜け出せず、
 自分が望む信念を続けることが難しい。という状態なのだよ。
 そんな状態では、自分の信じる道で生きていこうというプランは難しいし、
 慣れ親しんだ(が、心のそこから納得できない)場所(職場)にとどまるだろう。
 そうやってサラリーマンの傍らでひっそりと
 本当にやりたいことの雛形を続けるかもしれないな。

 でも忘れないで欲しい、
 
 そもそも失敗や悪い選択などないし

 行き止まりなんてありはしない。

 そう感じたらその場所からベストを選びなさい、

 いつも いつでも いつまでも。」


「常に最高を求めて躊躇する前に表現することだ。

 常に最高を、より高い方を、より軽い方を、

 より開かれた方を選ぶのだ。

  『今』、今選ぶのだよ。

 あなたがやることはそれしかないと言っても言い過ぎではないよ。

 どのみち、表現するまではそれが最高かどうかなど分かりはしないのだから、
 頭の中で評価するほど馬鹿らしいことは無いよ、
 だから躊躇する前に表現してしまえばいいのだ。」

(━_━)ゝ


師 
「あなたが最高のアイデアを思いつき早速それを表現してみたら、
 大したことはなかったと感じたとしよう。それは、アイデアの質の問題ではなく、
 単に、思いついたときのあなたより表現した時のあなたの方が成長拡大しているというだけの話だ。
 小学生の時に閃き、早速表現した時にはあなたは高校生になっていたというわけだ、
 成長拡大のスピードと時間の経過スピードは無関係だからね。

 つまりあなたは、いくら最高を目指しても満足した結果が得られないのだ。あなたは常に
 成長拡大する存在だからね。自分の表現を評価する事が無意味だと分かっていただけるかな。」



師 「さて、あなたが『今』やることが分かったかな。」


瀬 「はい、、、、なんとなく」 ( ̄ω ̄;)


師 「よろしい。では、ゆっくりと休みたまえ。」


-p.s-
私がこの時に表現しなければいけない行動は<睡眠>でした。
これも立派な行動ですね。
  

Posted by greentea coaching at 13:17Comments(0)瀬名ワールド

2012年01月16日

理想の姿2(道具を正しく使う)

スタッフの瀬名@鈴木です。
前回の記事が読みにくくてすいません。


さて、心の円卓会議という技があります。これは、
心の中で理想の人物と円卓を囲んで、さまざまな問題について議論するというものです。

たとえば、自分・ガンジー・マザーテレサの3人で会議をします。
もちろんガンジーやマザーテレサのセリフは自分で考えるのですから、なかなかうまく喋ってくれません。でも、これを根気よく3日、3週間、3ヶ月と続けると・・・

ガンジーやマザーテレサが生き生きと語り始めます!!!

しかも、自分には考え付かないような高尚な言葉を、、、
まるで本物と会話しているかのようです。

彼らの言葉が自分の潜在意識から出ているものなのか、
本当にどこかに繋がっているのか分かりませんし探求する必要もありませんが、
この技を身に付けると、とっても役立ちますよ。

ちなみに円卓を書囲むメンバーは、尾崎豊でも織田信長でも大好きなおばあちゃんでも、
シャア大佐やアンパンマンでもオッケーなんですよ。

・・・・・・・・・

頑張ってこの技を身に付けた私は、
自問自答していたはずなのに、いつの間にかメンターなのかグルなのかはたまた自分の潜在意識なのか分からない方との会話となっていきました。


それでは、師匠と瀬名の会話をお届けします。



師 「人生の究極の目的、あなたに最も優先してもらいたいものは
   『自分の姿~魂~を感じなさい、そして表現しなさい。』というものだ。」


「この世界のすべての物は、そのためにあるのだ。もともと1つだった存在が、自分を確認するために<違う部分>へと分かれたのだ。」

「それが『全ては自分(魂)を表現(体験)するために与えられた。つまり、自分以外の全ては、自分の魂を感じ、表現するための道具』という意味なのだよ。」

「自分以外の全てとは、宇宙、地球、自然、景色、権力、所有物、お金、友人、家族、恋人、妻、夫、自分以外の人、生き物、情報、食べ物、体、そして、思考であり感情であり言葉であり、行動だ、その他にあなたが思いつく全てだ。すべては魂が自分自身を体験するための道具なのだよ。」




瀬 「自分(魂)を感じる(表現・体験する)瞬間とはなんですか?」

師 「なんだと思うかね?」

瀬 「感動した時ですか?愛情や自然の美しさに触れた時。
   それに、訳も分からず感動して涙する事だってあります。」
   「あとは・・・人に優しくされた時や人に優しくした時、、、」


「そうだ。そして、あなたがそうなればいい。自分自身の中の最高の姿に。。
 1日1回で良い、半日に1回でも3時間に1回でも良い。
 もちろん1時間に1回でも1分に1回でも。」

「1日1回の行動を始めなさい。それが難しいというならこう言おう。
 『1日1度しか理想の姿になってはいけない』と。
 あなた方はそう言われると2度も3度も試してみたくなるのではないのかね?」

「それに、1日1回キリストになれと言っている訳ではない、
 ベストを尽くしなさいと言っているのだ、常にベストを。」
「かといってワークショップのように今すぐ両親に感謝と愛を表現した手紙を書いて
 電話しなさいと言うつもりは無いよ(そうしたいのなら止めはしないが)。」

「あなたがたは理想通りに表現できないことを悔やんだり評価する癖があるが、
 そんなヒマがあったら今すぐ表現できる方法を見つけて実行しなさい。」

「最高を求めて躊躇するならば、すぐに出来ることをすぐにしなさい。
 但し、最高を目指す気持ちは忘れてはいけないよ。」


瀬 「それは大切なことだけど、、、
   結局、自分の理想の姿が見つかっていないような気がする…」

師 「姿など無いのだよ、あるのは表現だけなのだ。
   誰かがその表現を見て、感じて、あなたという人を創りだすのだよ。」

瀬 「なんだか、いい事いわれた気がしますが、意味が分かりません。」

師 「誰かがその表現を見て、あなたと言う人を創り出すという言葉の中の
   『誰か』のなかには、もちろんあなた自身も入っているのだ。」

・・・( ̄△ ̄)


「理想の姿を創るのだよ、それは頭の中でいくら考えてもたどり着けない、姿~表現~なのだから。魂の姿を見るために全ての道具を使いなさい、それがあなたの(魂が求める)理想だ。つまり、理想の姿とはあなたの魂を表現することなのだ。」

「あなた自身が、今の<ありのまま>のあなた自身が、あなたの理想なのだよ。始めから完成されているのだ。ただ、あなた方はそれを表現する方法があまりにも稚拙なのだ、ただそれだけだ。」

「本当のあなた(魂)を見つめ、感じ、触れるためには、あなた以外のものが必要なのだ。本当のあなたはいつだって完全(調和)であり続ける。ただ、それを上手く表現できないでいるだけなのだ。だから、新しい知識や新しい技術を身につける前に今持っている道具(知識・技術など)の使い方を覚えなさい~思い出しなさい~。」

「さて、あなたはこれまでに様々な知識や技術を身に付けてきたね。そして、そのどれもがまだ途上だと、十分なレベルに達していないと感じている。仕事にするには~人の役に立てるには~もっと学びが必要だと。」

「だが、本当に必要なのは新しい学びではなく、
 今持っているものを正しく使うことだ。正しい使い方を学びなさい。」


瀬 「正しい使い方?」 (・_・?)


師 「魂が自分(魂)を確認するために、自分以外のものが必要な理由を聞こう。」

瀬 「すべては一つだから?」 (゚ー゚*?)

師 「そう、すべては一つ。自分しかいないのでは自分の姿を確認できない。
   だから私とあなた、私と何か、私と私でないものという境界線を
   引く必要があったのだ。」

!( ̄□ ̄;)!!

瀬 「つまり、他人の魂を見る。と、、、」


師 「他人(便宜上こう呼ぶことにしよう)が魂を表現する事を、手伝うこと。他人の魂を見ることがすなわち自分(の魂)を見るということだ。訳も無く涙が出る、なぜか感動する、そんな経験があるだろう。そんな場面を誰かと(何かと)創り出す。と言えば分かり易いかな。誰もが優しくなれる場面を作る、感謝を表現する、誠実な態度や言葉遣いを貫く、そんな些細な行為も魂を表現しているのだよ。」

「まず、愛を表現しなさい

 愛を表現できないのなら感謝を表現しなさい、

 感謝を表現できないのなら誠実さを表現しなさい

 誠実さを表現できないのなら正直になりなさい、

 正直になれないのなら、笑顔を見せなさい

 笑顔になれないのなら、挨拶から始めなさい。」

「ここまで言えば、あらゆる言い訳~私はカウンセラーやセラピストなどではありません。私はただのサラリーマン、パート、主婦です。私には知識や技術がありません~は無意味だと分かるだろう。


「自分の魂を、自分以外の誰かを通じて表現しなさい。

 あなたにはそれができるはずだ。

 あなたは今こうして生きていて、
 
 行動でれ言葉であれ手紙であれメールであれ、

 きっと何かを表現できるのだろうから。」

-p.s-
自分が本当に何をしたいのか知るための近道は <1日1膳>ですね。
・・・多分、そうです。やってみて損はないので、しばらく続けてみます。  

Posted by greentea coaching at 14:04Comments(0)瀬名ワールド

2012年01月12日

理想の姿1(硬い殻を脱ぎ捨てる)

あけましておめでとうございます。
スタッフの瀬名@鈴木です。

寒さが一段と厳しさを増すなか、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は体調を崩してクリスマス~大晦日まで入院していました。


入院中に携帯でコソコソとmixiを眺めていると「あなたの理想を聞きたいです」の一文が!
正直、理想の未来って具体的なビジョンがないな~と思いながら考えてみました。

人間暇だとイロイロなことを考えますね(^^;

と、いうことで入院中に自問自答した「自分の理想」というのを何度かに分けてシェアしていきたいと思います。
脳内会話形式で書き進んでいくので、慣れるまで若干読みにくいかもしれませんが、
お付き合いいただければ幸いです。



理想とは、、、私はどんな自分になりたいのか?
健康・豊かさ・富(金銭的な)・人間関係…

私は、健康になりたいのか?  「YES!」
健康とは、私か?        「・・・NO」

私は、金持ちになりたいのか?  「Yes!」
金持ちとは、私か?        「NO!」

私は、良い隣人になりたいのか? 「Yes」
良い隣人とは、私か?        「NO」

私は、理想の姿になりたいのか? 「Yes!」
私は、何かになりたいのか?    「・・・NO」


では、私は私のままでいたいのか? 「・・・」

今の私は、理想の姿ではないのか? 「Yes」
今の私の中に、理想のカケラはあるのか? 「Yes」

それは、どんな瞬間なのか?

「ゆるぎない静寂であること。それは無ではなく満たされた結果の静寂である。」
「その静寂は、無音の静寂ではなく、不協和音が聞こえないという点で静寂なのだ。」

つまり、その状態とは愛に満ちた瞬間に存在し続けるということなのですか?

私は、愛に満たされたいのか?  「Yes」

その質問をしたのは、私か?   「NO!」


「それでは、私とは誰か?」


私は、社会人か? 「Yes」  
社会人とは、私か? 「NO」

豊かさとは、私か? 

所有物とは私か? 

権力とは私か?

「私は、だれ?」

私は、父親か? 「YES」  
父親は、私か? 「NO」

夫とは、私か?  

部下とは、私か? 

上司とは、私か? 

友人とは、私か? 


「それでは、私とは 誰か?」

私は、自分か? 「YES」
自分は、私か? 「・・・NO!」


「<我思う故に 我あり>ということか?」
「私と言う存在が掴みどころの無いように感じるのなら、私は「どう在りたい」のか「どうなりたい」のかを自分自身に問うてみてはどうだ?それが全ての始まりとなるのだから。」

・・・

「在り方も成り行く道しるべも見つからないのだな?では、一番見たいものは何だ?」

私自身です! でも、どうやって見るのですか?

「考えを巡らせても瞑想しても、行き着く先は<我思う故に 我あり>だ。」
「表現しなさい、これが私だと言える事を、お前が見たい自分の姿を。」
「おまえ自身の最高の姿、最大限考えられる自分の最高の姿よりも高い自分を表現しなさい。まずは思考で、そして感情で、さらに言葉で、最後に行動で。」

「自分の姿に気づきなさい、自分の姿を感じなさい、自分の姿を発しなさい、自分の姿を体験しなさい。」
「全ての瞬間が自分自身を形作っているのだ。全ては自分を表現(体験)する為に与えられたのだよ。」

「人~魂~は、自分以外のものでしか自分を確かめる~表現(体験)する~ことが出来ないのだよ。(全ては一つなのだから)」

「自分以外のものとは、宇宙であり地球であり自然であり景色であり権力であり所有物でありお金であり友人であり家族であり恋人であり妻であり夫であり生き物であり情報であり食べ物であり体であり行動であり言葉であり感情であり思考だ。すべては魂が自分自身を感じるための道具なのだよ。」

・・・

「では聞こう、お前は魂を体験したいかね?」

YES!

「それなら そうしなさい。あらゆる鎧を脱ぎ捨てて魂を体験しなさい。お前の殻は、ずいぶん硬いようだがね・・・。」


こうして、病室の天井を見ながら「自分の理想」というものを深く考える事になったのでした。  

Posted by greentea coaching at 13:02Comments(0)瀬名ワールド

2011年12月19日

欠点が世界を救う日

みなさんこんにちわ、スタッフの 瀬名@鈴木 です。



日本人の欠点って、何だと思いますか?


本音と建前が分かりにくいこと?

主義主張をしないこと?

ニコニコしてうなずいているのに、実はNOだってこと!?


自分の権利を正当に主張できない日本は

海外との交渉事では、ことごとく貧乏くじを引かされてきました。

今でも、経済的にはアメリカには吸い尽くされようとしているし

領土問題では中国や韓国に主張できないばかりか、

強固な主張をしてくる彼らに対する経済援助を増やしてまで

事を収めようとする始末。 多くの人がそれは問題の解決ではなく

<クサいものにフタ>という最悪の選択であると知っています。

ユーロ救済にいたっては、

《ユーロが合法的な通貨であることを放棄する危険性がある》と指摘され

各国が支援を断る中、たった一国、

日本だけが可能な限りの援助を行うことを約束しています。


のらりくらりと結論を先延ばしし、主張し争う事を避けるためには 

身ぐるみ剥ぎ取られる選択でさえもしてしまう愚かさには、 

政治記事を読むたびイライラします。



でもなぜ、世界中が国民生活が貧窮している日本にタカるのでしょうか?

日本人ならお金が取りやすいから? そ~でしょう そ~でしょう。


でも何より、

世界の中では 日本はまだまだ余力があるからなのではないでしょうか。

アメリカでは政府からの食糧配給を受けている人が4千万人を超えていると聞きますし、

欧州もEU自体の崩壊が心配されるほど疲弊しています。



相手を説得して自分の主義を押し通し、自国の利益を最大限に誘導する。

そんな駆け引きばかり繰り返してきた国々が行き詰まり、

脅されて、騙されて、それでも穏便にやろうと身を切ってきた日本が一番まとも

ってのは、なかなか面白い結果だな~と 思います。


日本がいつの頃から「自分の考えはしっかりと言葉を発して相手に伝える」

という事が一般化してきたのかは分かりませんが、

日本人が昔持っていた 和を重んじて相手の心を察してあげる というものが

混乱する時代を収める 一番良い方法なのではないでしょうか。

和を重んじるというのは、争いを起こさないというレベルだけでなく

繋がっていることを意識している という事でもあるのですから。


まとまりのない記事になってしまいましたが、

今まで、「ダメだ」「欠点だ」「くだらない」と呼ばれていたものが

世界を救う秘策になるのかもしれませんね。

それはきっと世界だけじゃなく、個人にも同じことが当てはまるのでしょう。  

Posted by greentea coaching at 13:49Comments(0)瀬名ワールド

2011年12月06日

働かざる者 食うべからず

みなさんこんにちは、スタッフの 瀬名@鈴木です。


働かざる者 食うべからず

この言葉を使う時、
人は働くという言葉にどんな意味を乗せるのでしょうか。

多くの場合 
お金を稼ぐ という意味で使うのではないでしょうか。


働くとは、どんな意味だったのでしょう

それは、人の役に立つ 社会に奉仕する 

という意味だったのではないでしょうか。


おしゃべりが楽しい方お陰で、笑うことができるのです。

障害を持った方がいるお陰で、善意の輪に参加できるです。

あかちゃんが無垢なままでいるお陰で、和むことが出来るのです。

子供が元気でいるお陰で、元気な気持ちになることができるのです。


おしゃべりが、障害が、存在自体が
人の役に立ち社会に奉仕しているのなら

それは立派に<働いている>ということではないでしょうか?


これから始まる時代に向けて<働く>という意味を

今一度問い直してみる必要があるのではないでしょうか。  

Posted by greentea coaching at 10:38Comments(0)瀬名ワールド

2011年11月10日

心の狭さに感謝してください

みなさんこんにちは、スタッフの瀬名@鈴木です。

最近、コーチングセッションの最中や、私のブログに寄せられた
質問や相談に対してメッセージを贈ることが多いのですが、
その中から感慨深いメッセージの一部をご紹介していきたいと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あなたの、心の狭さに感謝してください。

あなたの心が狭いから、

些細な事で腹を立てる事が出来るのです。

それは、些細な事で

人を恨んでから許すまでの経験ができると言う事です。


あなたの勇気が小さいから、

命の危険を冒さずに勇気を振り絞る経験が出来るのです。


あなたの分かち合う心が小さいから、

その身を削り落とさなくても分かち合う喜びを経験できるのです。


あなたは、そうして心を少しずつ広げていく事で、

一度の人生で何度でも何度でも、

同じ喜びを体験する事が出来るのです。

それは、

あなたが自分の心の狭さに感謝する事から始まります。

  

Posted by greentea coaching at 15:12Comments(0)瀬名ワールド

2011年10月20日

許せないのは不正か、それとも成功か

皆さんこんにちは、スタッフの瀬名@鈴木です。


新聞やニュースを見ると、

ずるいことや悪いことをしてしまった人が毎日現れます。

そんな人たちを腹立たしく思い、

ずるや不正を許せないと感じる人も多いと思います。



そこで注意して欲しいのは、

許せない思いや怒りの矛先が

不正そのものに向いているのか

不正することで成功した その成功の部分に向いているのか

と、いうことです。


不正をして失敗した人の記事を読む時と

不正をして富や特権を得ている人の記事を読む時の

ご自身の感情の違いに、注意してください。


怒りの矛先が<成功>に向いているようなら、

あなたは嫉妬しているのです。


それは、あなたが成功する為の障害になっています。





誰かが不正をしたことを許せないのと、

不正をして”成功した”ことを許せないことの差は、

気づけないほど微妙だけど

ちゃんと意識した方がいいと思うんだ。


ブログ「心の整理整頓」より  

Posted by greentea coaching at 15:12Comments(0)徒然なるままに

2011年09月16日

愛と憎しみの区別がなくなる日

みなさんご無沙汰しています、
スタッフの瀬名@鈴木です。


ここ数年、統合への流れが加速しているように感じます。

正義と悪 
この分裂は、かなり怪しい価値観になりつつありますね。

善と悪  
これも、皆がお互いの立場を理解することによってかなり曖昧になりつつあります。

今、これまで秘匿されてきたネガティブな情報や悪しき習慣や欺瞞が次々と白日の下にさらされています。

これもまた、白と黒 光と闇 という分裂が曖昧になってきた時代を象徴しているのかもしれません。


やがて、 愛と憎しみが統合された時 
人は何を思い どんな世界を紡いでいくのでしょうか

そこに至る道は決して平坦ではありませんが、 
みなさんと紡いで行く未来が楽しみです。



ちなみに、憎しみや恨み・不安や恐怖って 

実は、愛なんですよ。 


憎しみや不安の その奥を見つめてくださいね。

  

Posted by greentea coaching at 16:14Comments(0)

2011年06月16日

あなたの傍らで 静かに寄り添っている

瀬名@鈴木です。

『人生の羅針盤の作り方』
に出てきたお師匠さんからのメッセージで、心象深かったものをシェアします。


===
闘うことをやめてください。

ただ、それを見つめてください 

その存在を認めてください。

全ての判断をする前に 

全ての認識をする前に 

その存在を 認めてください。


それは、ただ そこに在るだけなのです

それに、パワーを与えているのは あなたなのです。

決して、争おうなどと 考えないように

決して、忘れようなどと 考えないように

それは、そこに在ります。


全てのものは 

存在することが許されているのです

無条件の愛のもとに。


あなたにとって 必要が無ければ、

それはあなたから遠ざかります。

あなたにとって 必要であれば、

それはあなたに影響を及ぼします。


それを遠ざけようとするのは、

まったく無駄なことです。


あなたがそれを 必要としなければ

それは あなたの傍らで

静かに見守っているだけのことなのです。


あなたがそれに 力を与えなければ

それは あなたの傍らで

静かに寄り添っているだけなのです。
===  
タグ :瀬名


Posted by greentea coaching at 11:11Comments(0)瀬名ワールド

2011年06月13日

とある王様の物語(3/3)


 私は、いつものように 宮殿のバルコニーからこの国の街並みを見下ろしていた、宮殿の正面に民が集まり始める、そのような光景を見るのは始めてだった私が、これから起こる事件を想像できるはずもなかった。



 側近の一人が落ち着いた様子で駆け寄り、私に耳打ちした。
「暴動が起きました」
 私が、その意味が分からず問いただそうとして振り向いた瞬間、不意に私の視界が床に這った。

 冷たさを感じる首を触ろうと手を上げるが、上手く触ることが出来ない。我が手を見ようと視線を移したその先に、首を切り落とされた体が私の服を着て横たわっているのが見えた。流れ出る血の行く先には見覚えのある靴が並んでいる、見上げると大臣達の歪んだ笑顔が並んでいた。

 誰かが私の髪を掴み、私を高々と持ち上げると、歪んだ笑顔たちはいっそう歪み、くぐもった笑い声を発した。それは、欲望が達成される喜びと、邪悪な支配者から逃れることができた喜びに満ちていた。

 私の服を着た体が持ち上げられ、引き裂かれた。足が、腕が、胴が、刺され、切られ、裂かれていき、体はただの肉片になっていく、それを見る視界の端で、人知れず宮殿を後にするシヴァの姿を見たのが、私が王として記憶している最後の光景である。

大臣達は、私だった首を高々と民衆に突き上げ
「民の苦しみは今、終わったのだ」と宣言した。
それが始まりであることを気づく者は静かにその場を去り、
民衆は歓喜に震えた。

シヴァは、私を裏切ったわけでも私から逃げたわけでもないことは知っている。あの日私の人生が終わり、シヴァの人生は続いていた、それだけのことだった。




シヴァがあの日以降、何処で何をしていたのか私は知らないし、知る必要も無い。私にとっては<シヴァがやっている>というだけで十分だ。シヴァが選択したことならば、きっと誰かを幸せにしているはずだから。


再会した私達は、幾つかの修正プランを受入れた。

「教育とは、自分の才能を使って奉仕や表現をすることが出来るようにサポートすることである。」
「命の使い方は、命の長さと同じだけの敬意を持って優先される。」

「通貨の価値は金ではなく奉仕と表現によって測られる。お金は交換の支配的な仕組みではなくなり、数多くある仕組みの一つとなる。」

「歌唄いとごみ処理従事者、ダンサーと下水処理者は、同じ敬意と尊厳をもって扱われる。」

「寄付や奉仕、表現の大小で、その者の価値が微塵も変わることはないが、多く与える者は、それが自身の励みとなる」
「すべての存在とシステム(全世界)に敬意と尊重をもち、存在の一部としてシステム参加・奉仕していることを自覚する。」

・・・・・・

時間と空間という制限がない場所で、私とシヴァは多くを語り、理解し合った。


私は新しい体に入り、シヴァは残った。今の私が何をするのかは、私には分からない。私はゲームの中に身を投じ、私以外だった多くの人生の課題を終える必要もあるのかもしれない。
 今の体で、あの日から30年間で新しい世界の基礎を創るのかもしれないし、その作業に指導者としてではなく多くの人の一人として係わるのかもしれない。

次の体に入るときは、シヴァと同じ時代を選ぶのだろうか、それとも私が上に残るのだろうか。


私は、新しい世界を迎えるこの星の姿を、地上から見届けるつもりだ。  

Posted by greentea coaching at 11:11Comments(0)瀬名ワールド

2011年06月10日

とある王様の物語(2/3)

私は、いつものように 宮殿のバルコニーからこの国の街並みを見下ろしていた。ある日私は、いつものように苛立っていた。水路を作れば民の生活はもっと豊かになるはずだったのだ。

 「水路は全て作ったのか?」「民の望みに沿った水路なのか?」「何故民は豊かにならないのだ?」

 私は大臣達を問い詰めたが、その問は疑問ではなく、私を利用している大臣達への怒りでしかなかった。
 大臣達は、私を利用し続ける為の方便と言い訳を繰り返し、いつもと同じ事をした。多くを自分の懐に納め、残った金で水路を切り開くのだった。

私は治安兵を束ねる大臣に同じように怒りをぶつけ、大臣も同じ事をした。穀、医療、燃料を司る大臣達にも同じように怒りをぶつけ、彼らも、いつもと同じ事を繰り返した。

 私も、民から集めた金を我が身の贅に使い、残りを民の為に使った。正確に言えば、民の為に使うように命じた。そして、他国より豊かな街を作った事に満足するしかなかった。シヴァは、何も言わず頭を垂れた。

 私を偽り欺く者たちを我が理想実現の為に利用する行為は、私自身を傷つけた。私は命令するたびに自分自身の心を引き裂いていった。しかし私は、欺く者達を追求することも、信頼できる者を探して要職につけることも、そして、シヴァに何かを命令することもなかった。それは「労する事」だからだ。
 私は、自分が労する事を避ける~手放す~ことで、自分の人生の、そしてこの国のコントロールを手放している事に気づくことは無かった。
<私は、シヴァを要職につける事が怖かったのだ。何を恐れていたのだろう。それはきっと、シヴァと向き合うことが自分自身と向き合うことと同義であったからだと、今は思う>

 軍事力を手放し、「全ての民が豊かさの中で暮らす」世界を実現しようとした私の願いは光から湧き出たものだが、私個人の人生は闇に覆われていた。強大な権力や闇に屈しない精神力の持ち主ではない王は、自らの理想を実現させる為に必要な権力を自らの手でコントロールする事を恐れていた。最高権力の座にありながら、権力に飲み込まれる事を避けていたのだ。
 その意味では、欲に溺れていった大臣達は、私の身代わりだった。いや、私が彼らを闇に落としたと言うべきだろう。


 一方で、民も怒りに満ちていた。改善されない水路や市場、浴場への不満は、大臣達へと向かい始め、同時にその矛先は、富を集め贅を尽くす王族にも向けられた。
 そして、「軍事力を持たずに民へ施す」というこの国の恵みは、いつしか「この国が軍隊を持たないのは、悪政に苦しむ民を開放するために、神が与えた唯一の救済への道」であると説かれるまでに民の間には、憎悪が膨らんでいた。

 その王族の長である私は、この時でさえも他国に比べれば圧倒的に豊かで暮らしやすい国を作ったことを自負し、城の外で暮らす民もこの国の豊かさを祝福していると信じて疑わずにいた。そして、身近にあって自分の理想を具現化する行動を起こすはずの大臣達を疑い、怒り、そして恐れていた。

<あらゆる方向から疑いと憎悪を向けられた者達が権力を握るのなら、進むべき道は一つしか残されていない、大臣達は自らの欲望で道を踏み外したかのように見えながら、実はその道を歩かされていた救われるべき者達だったのだ。>


つづく
  

Posted by greentea coaching at 11:11Comments(0)瀬名ワールド

2011年06月08日

とある王様の物語(1/3)

皆さんこんにちは、最近ブログもMLもすっかりご無沙汰しています。
ある王様の物語を思い出したので、アップします。




私はある時、アラブの小国に君臨する王だった。



私は、いつものように 宮殿のバルコニーからこの国の街並みを見下ろしていた、王としてそこに立つ歳月が終わろうとしていることを、知る由も無く。

誰もが私と言葉を交わすときには、心に違う感情を抱いていた。ある者は恐れ、ある者は妬み、ある者は取り入ろうとし、私に笑みを投げかけるのだった。

 私は、歴史が評価する人物像よりも、幾分純粋な人間だったと記憶している、「全ての民が豊かさの中で暮らす」世界を現実させるという希望と側近のシヴァだけが、私の幾分の純粋さを支えていた。
 私は、民から富を集め、街を作った。周辺諸国より民の生活が豊かなのは、私が軍隊を持たなかったからだ。我が国に軍事力というものは存在せず、治安を護る兵をわずかに配置するだけだった。水路が無いといわれれば水路を作り、広場が欲しいと言われれば広場を作り、市場が必要と迫られれば市場を作った。

 軍事力に使うはずの富を民の為、そして我が身の贅のために使うこの国は、民も王族も豊かであった。だが何故か、それでも貧する者が絶えることは無かった。大臣達からは、近隣の国からの移民があとを絶たないと知らされていた。

 かと言って、私が立派な王だった訳でも、幸せだったわけでもなかった。人は私を欺こうとし、私を利用し、そして私を恐れた。いつしか私は心を閉ざし、思想や理由を言葉にすることなく、ただ命令するだけの王になっていった。そして私は、王である立場にあることを当然とし、労すると思われる全てを他人に任せた。
 どのような水路を作り、民がどのように使うのかといった事から、自分が食べる果物の皮むきまでの全てを大臣や官女に任せることで、自分の人生のコントロールを手放していった。王族に生まれた私にとってその行為は、空気がそこにある様に当たり前だった。

 そんな私を理解する唯一の人物がシヴァであった。私はシヴァを側近として常に我が身の傍らに置いた。食事の時も、会議のときも、そして、女を抱く時も。
 シヴァには全てを話した。シヴァは私を恐れることも無く利用することも無い替わりに、私の命令に従うことも無かったが、それで十分だった。私を私として扱ってくれるだけで。その事だけが、私の心を人間の形として留まらせていたのかもしれない。

<私は、シヴァに何も命令せず、ただ常に側にいることだけを求めた。それがシヴァの人生の全てを奪うことに気づいたのは、ブログに過去世のことを書いている今この時だった。自責の念を抱いている私の前で、シヴァはあの時と同じように深い瞳を一瞬だけこちらに向け、頭を垂れた>  
タグ :瀬名


Posted by greentea coaching at 14:12Comments(0)瀬名ワールド

2011年04月13日

好奇心に駆られて調べた結果、後戻り不可能になりました


みなさんこんにちは、スタッフの 瀬名@鈴木 です。

ニックネーム(ハンドルネーム)の「瀬名 翔悟」と本名の鈴木をその日の気分で使うので、実はムカっとしている 人もいるんじゃないかとドキドキしています。



いっそのこと「瀬名翔悟」じゃなくて本名の「鈴木雅之」にしようかとも考えたのですが、

全日本「鈴木雅之選手権」で激しく下位にいるオイラが本名を使うと、

<瀬名翔悟@鈴木雅之>にたどり着きません。

本名を出すと何処の誰か分からなくなってしまうという貴重な体験です・・・

なので、ハンドルネームは継続することにしました。

とりあえずリアル知人とweb読者が混在するこのブログでは 瀬名@鈴木 ってことで



前置きが長くなりましたが本題です。

ココ2,3年、周りで 「天使の存在を感じる」「天使とコミュニケーションできる」
なんて言ってしまう人が増えてきました。
(世間の流れじゃなくて、瀬名が特異点の中心にいるのかも?)

○○セラピーやパワースポットなどの人気上昇などもあわせ、
癒しを必要とする人が増えた時代の副産物かな~とも思います。

そんなふうに思っていたので、これまで自称「天使と繋がる」彼女達を密かに
メンヘラ認定してきた瀬名ですが、一方的に小バカにするのも可哀想なので、

瀬名なりに、天使の存在を検証してみました。


その結果を書いたブログ↓
http://ameblo.jp/re-creation-coaching/theme-10029766260.html

face08
という驚きの結末でした。

(リンク先を読んでいただいたことを前提に話を進めています)


なので、今後私のコーチングセッションは、
降りてきたインスピレーションを伝える場面も多くなるかと思います。

普通のコーチングセッションとは一味も二味も違った面白いものに
なろうかと思いますので、今後ともよろしくお願いします。  
タグ :瀬名


Posted by greentea coaching at 15:42Comments(0)瀬名ワールド

2011年03月21日

被災地、被災者に向けて、今できる事は

みなさんこんにちは、
グリーンティー スタッフの鈴木(瀬名)です。


前回のコラム『人生の羅針盤の作り方』でご紹介した
私のメンター(師)アリエルさんと
話した内容と頂いたメッセージを転載します。



ボランティアに向かわれる方、義捐金や物資面でサポートされる方、

また、自分には何もできないと思い悩む方もいらっしゃると思いますが、

全ての人にとって、一番重要な事かと思いますので、一読して頂ければ幸いです。




今回の災害について、被災された方々に対して、物質的な援助はもとより、

被災地や震源地、原発に向けて祈りや愛を捧げている人や団体が多数あります。

これを「祈りを行っている人の精神を安定させるだけのもの」と捕らえる方も、

「祈りと愛が災害を小さくする力を持っている」と考える方もいらっしゃると思います。


どちらにしても、祈るだけでは、愛を現地に贈るだけでは、何も変わりません。

募金をしろとか何かを始めろとか言っている訳ではありません。

生活態度や普段の行いを変えろと言っている訳ではありません。



祈る事、愛を贈ることの意味を、もう一度考え直してください。



以下、アリエルからのメッセージです。

===
あなたが被災地に愛を贈るのと同じだけ、日常に愛を見つけてください。

あなたが被災者に祈るのと同じだけ、周りの人の幸せを思ってください。


あなた方に愛情を注いでくれた日本は、もう存在しないのです。

あなた方が愛情を注ぐことで、もう一度作り直すしかないのです。


愛を注ぐ場所は、あなたの手が届く場所にあります。

祈りを捧げる相手は、あなたの目が届く場所にいます。


どうか、あなたのその手を離さないでください。

どうか、あなたの周りに目をつぶらないでください。


そして、

あなたがその手に注ぐ愛の一部を、被災地に向けてください。

あなたがその目に宿す祈りの一部を、被災者に向けてください。


それが最も強いエネルギーとなり、

人々の思考を、行動を、未来を紡いでいくでしょう。


この場、この時を選んで生まれた 勇敢なる 愛すべき魂たちへ


===メッセージここまで===



手の届く人に、目の届く場所に、そして被災者や被災地に 心を向けてください。


静岡に縁がある方は、富士山にも意図(思い)を向けて頂けると嬉しいです。  
タグ :瀬名


Posted by greentea coaching at 23:48Comments(0)瀬名ワールド

2011年03月18日

ファーストピース・サークル開催のお知らせ

申し訳ございません!
開催時間に誤記がありましたので訂正します。

誤 10:00~15:00(受付9:45~)
正 13:30~17:30(受付13:15~)

です、よろしくお願いします。

=====================

みなさんこんにちは、スタッフの鈴木(瀬名)です。
(良く見たら、名乗り方が、鈴木(瀬名)とか瀬名@鈴木とか、バラバラですね…)



前回のファーストピース・サークルは

清水区小島町のお寺、龍津寺で行いました。



350年の歴史あるお寺、長い間受け継がれ、守られてきたその場所で、

場所を提供して頂いた住職も参加してのファーストピース・サークルは

禅の話も織り交ぜながら、深いレベルで自分と向き合う事ができました。



4月も、同じ龍津寺で行います。

長い間、大切に守られてきた静かな空間と時間の中で
自分の心と向き合います。

日時:4月10日(日) 13:30~17:30(受付13:15~)
   (FPC終了は16:30。その後、希望者で禅の体験会を行います。)
場所:清水区小島町135 龍津寺
   (JR興津駅から車で約10分、52号線沿いです)
   (場所は、下のチラシにある地図をご参照ください)
お申込み:下記内容を明記の上、メールにてお申し込みください。
       宛先:greentea.coaching@gmail.com
       件名:「○月○日FPC清水申込み」
       内容:①お名前②メールアドレス ③緊急連絡先(携帯番号等)














次回は、ワークショップの最後に、
30分ほど座禅を組んで終わりたいと思います。  

2011年03月17日

「育自のための小さな魔法」開催中止のお知らせ


 4月16日に予定されていました

 「育自のための小さな魔法」



 こちらの講座を、今回は中止することにしました。


 
 お申し込みくださっていた皆さまには、大変ご迷惑をおかけします。

 
 

 コーチングは、「行動」と「学習」を促すことを目的として行うものでもあります。

 今回、「行動」(申し込む)を起こしてくださったことを、しっかりと受け取りたいと思っています。



 そこで、今回お申し込みくださった皆様には、中止の連絡と併せて、

 代替え講座へのお席の優先確保のご案内もしていますicon27


 ご案内した代替え講座は、とてもお得なものです。

 内容も、とってもいいものをお届けする予定です。


 ぜひご利用ください☆



 お会いできますこと、楽しみにしていますface01
 



 グリーンティー・コーチング スタッフ一同


  
   

2011年03月12日

【お願い】東北地方太平洋沖地震について

みなさんこんにちは、スタッフの 瀬名@鈴木です。


今回の東北地方太平洋沖地震について、

被害にあわれた方方々には、心を痛めるばかりで、
どんな言葉もかけていいのか分からないような状況です。

また、様々な形で援助活動に携わる方も、
様々な理由で直接的な活動に参加できない方もおられると思います。


コーチ、セラピストなど、複数でワークショップを行った経験のある方なら、

複数の人間が同じ意図を持つことにより作られる場の雰囲気、

また、その場のエネルギーが持つパワーの大きさを

体感した事があるかと思います。


被災地の、最も心を痛めている出来事・場所・状況が

良い方向に導かれる事を意図する(強く願う)ことで、


何かが変わる可能性があるなら、


それをすることが、より良い選択だとは思いませんか?



ご賛同願えるのなら、


あなたが最も心を痛めている出来事・場所・状況について

その状況を良い方向に導くという、強い意図(願い)を、


ホールドしてください。


そして、



どんなに小さなことでも、


あなたにできる事を

ぜひ、見つけ出してください。





これはあくまで私個人の意見ですが、
普段「場の持つ力が」とか「クライアントのエネルギーが」とか
言っているのに、こんな時に不安や恐れや迷いを放出している

コーチやセラピストは、

心の底から
「場が持つ力」や「クライアントのエネルギー」を
信じていないのだと思います。

  

Posted by greentea coaching at 17:37Comments(0)